まき網は、江戸時代に盛んであったイワシ網漁業の八手(はちだ)網、地引網等に代わって、明治20年以降に改良あぐり網と巾着網を基点として技術的改良が加えられ発達した。
明治30年代後半の漁船動力化、漁船機能向上により、機船まき網へと発展し、長崎県の生月舘浦、奈良尾、岩瀬浦、北部太平洋の千葉県銚子、福島県小名浜、茨城県波崎等において盛んとなった(大正末から昭和初期)。その後イワシ資源が昭和11年をピーク(162万トン)に減退したにもかかわらず、許可統数は知事権限で隻数、トン数等に係る制限がなかったことから増加。
この事態に対処して、昭和26年知事許可に対する枠付け(漁業法)、昭和27年それまで知事許可制だけであったが、新たに大臣許可制(60トン以上)及び海区制が導入され(まき網漁業取締規則)、許可統数の整理統合が図られた(昭和20年代後半から昭和30年代前半)。
昭和42年9月全国まき網漁業協議会が創立され、これを母体に昭和44年3月「社団法人全国まき網漁業協会」が設立された。
当時の状況は以下の「S44年2月協会設立趣意書(要約)」のとおり。
まき網漁業の漁獲物(年間120万トン)は、低廉な生鮮蛋白及び加工原料として、国民生活における栄養面及び消費流通上極めて重要な意義を有する。
しかし、近年資源面でイワシ漁の全国的不振、東海黄海における魚体の小型化・漁獲減、日本海及び北部太平洋における不漁等容易ならない事態が生じている。
経営面では産業構造変化の影響を受け乗組員の不足及び賃金の高騰が予想以上に進んでおり、まき網漁業と他産業との経営格差が広がっている。
目を転じれば、隣接外国まき網漁船の近接漁場への進出、貿易自由化の世潮、他産業の急速な近代化等によりまき網漁業は将来、直接、間接に大きな影響を受けざるを得ない。
このような情勢下、広く内外資源の開発、技術の高度化、設備の近代化、国際競争力の培養を急がなければならず、第一に経営者各位の企業努力と地域まき網団体の活動に対する期待は大きい。
国における、まき網漁業の新漁場開発予算、中小企業振興のための農漁公庫融資枠予算確保等に関連する事業を積極的に、かつ効果的に推進するためには、まき網業界の大同団結をより一層確固たるものにすることが必要である。
当初、11団体で設立(北海道、北部日本海、北部太平洋、中部日本海、山陰、日本遠洋、熊本、大分、鹿児島、海外)。
その後3団体(S48.5静岡、S52.6和歌山、S57.6愛知三重)が参加、2団体が当該地区において大中型まき網漁業者が皆無となったため脱会 (S45熊本、S62和歌山)
単位:千トン | |||||||||||||||
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年号 | S45 | 50 | 55 | 60 | H2 | 7 | 12 | 17 | 22 | 27 | R2 | R3 | R4 | R5 | |
1970 | 1975 | 1980 | 1985 | 1990 | 1995 | 2000 | 2005 | 2010 | 2015 | 2020 | 20201 | 20202 | 2023 | ||
漁獲量 | 1,257 | 1,569 | 2,624 | 3,745 | 3,550 | 1,233 | 901 | 945 | 863 | 885 | 985 | 935 | 872 | 801 | |
資料:漁業・養殖業生産統計年報(R5はR6.5.31公表値) |
平成24年4月、「一般社団法人及び一般財団法人に関する法律及び公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律の施行に伴う関係法律の整備に関する法律」に基づき公益社団法人(特例民法法人)から一般社団法人へ移行。
12団体
原則として一都道府県以上の地域を区域とする総トン数40トン以上の網船を使用してまき網漁業を営む者を主たる構成員とする団体とする。
まき網漁業に係る施策制度の調査研究、多獲性魚類の資源及び漁獲の適切管理、漁業関連情報の収集発信等により、まき網漁業の持続的発展を図り、国民に対する多獲性魚類の安定供給と消費拡大を図る(設立当初目的には無かった「国民に対する多獲性魚類の安定供給と消費拡大」を掲げている)。
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